東海地方の神社
伊勢神宮は、
三重県伊勢市にある神社。
正式名称は地名も冠しない神宮であり、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称される。
「伊勢の神宮」、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮」とも称される。
神社本宗である。
二十二社の一社。
また、神階が授与されたことのない神社の一つ。
熱田神宮は、
愛知県名古屋市熱田区にある神社。
式内社、尾張国三宮。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。宮簀媛命は、熱田の地に草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。
伊勢と熱田は「一体分身の神」を祀る神社であり、日本国を支える二柱であるとさえされてきた。
尾張戸神社は、
愛知県名古屋市守山区・瀬戸市にある神社。
式内社で、旧社格は郷社。
東谷山フルーツパークの山頂に鎮座する。
別称として「熱田の奥の院」や「東谷明神」・「当国明神」とも。
社伝(「東谷大明神草創本紀」)によると、第十三代成務天皇五年に宮簀媛命の勧請によって創建されたという。
宮簀媛命は日本武尊の妃で、建稲種命の妹にあたる。
真清田神社は、
愛知県一宮市真清田にある神社。
式内社は、尾張国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
平安時代に国幣の名神大社とされた神社。
鎌倉時代に順徳天皇が奉納の舞楽面を保存している。
境内に縁結びで知られる服織神社がある。
愛知県北西部、一宮市の中心部に鎮座する。創建は詳らかでないが、古代に尾張地方を治めた尾張氏の奉斎に始まるとされ、尾張氏祖神の天火明命を祭神とする。
尾張大国霊神社は、
愛知県稲沢市国府宮にある神社である。近くに尾張国の国衙(国府)があることから、国府宮神社(こうのみやじんじゃ)、国府宮(こうのみや)と呼ばれる。
毎年旧暦一月十三日に執り行われる儺追(なおい)神事、通称「国府宮はだか祭り」、「はだか祭り」で有名である。「神男」に触れると厄が落とされる。
祭神の尾張大国霊神は、尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされる。開拓の神なので、大国主命とする説もある。
大縣神社は、
愛知県犬山市にある神社である。旧社格は、式内社(名神大社)・尾張国二宮・旧国幣中社・別表神社。
尾張の國を開拓された祖神様である大縣大神(おおあがたのおおかみ)をお祀りする神社です。
創始は古く、尾張本宮山頂より現在の地にお祀りされてから二〇二三年という悠久の歴史を有している。
尾張造の構造様式、特に御本殿は「三棟造」・「大縣造」と称され特殊な様式を構え、昭和五十六年六月五日国の重要文化財の指定を受ける。
田縣神社は、
愛知県小牧市にある神社である。式内小社で、旧社格は郷社。毎年三月に行なわれる豊年祭が有名。
祭神は御歳神と玉姫命で、五穀豊穣と子孫繁栄の神である。当地は大荒田命の邸の一部で、邸内で五穀豊穣の神である御歳神を祀っていた。玉姫命は大荒田命の娘で、夫の建稲種命が亡くなった後に実家に帰り、母親として立派に子どもたちを育て上げるとともに父を助けて当地を開拓したので、その功を讃えて神として祀られるようになったという。
猿投神社は、
愛知県豊田市にある神社である。式内社、三河国三宮で、旧社格は県社。猿投山の麓に鎮座する。
祭神の大碓命は日本武尊(小碓命)の兄で双生児である。東征を欲せられなかったので、美濃国に封ぜられ、三野国造の祖神の美しい娘二人を妃とする。美濃やこの地の開拓に尽くした。猿投山山中で毒蛇に嚙まれ亡くなった。猿投山西峯にある西宮の背後に御墓所がある。
左鎌を奉納して諸願の成就を祈る習慣がある。大碓命は左利きで左に鎌を持ち、当地の開拓をされた。
知立神社は、
愛知県知立市にある神社である。式内社、三河国二宮で、旧社格は県社。旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には「東海道三社」の一つに数えられた。
景行天皇の時、日本武尊が東征に赴くにあたり、当地で戦勝を祈願する。平定後の帰途に感謝して建国祖神の
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、玉依比売命(たまよりびめのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)の四柱を祀ったのが創建といわれる。
砥鹿神社は、
愛知県豊川市にある神社。式内小社、三河国一宮。旧社格は国弊小社で、現在は神社本庁の別表神社。東海地方の総鎮守として崇敬される。
本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜七八九メートル)の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)があり、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)があって二所一体の崇敬を集める神社。
永禄年間には、徳川家康の命を受けた本多信俊が砥鹿神社に宿陣した。当社例大祭神事の流鏑馬が有名。
酒見神社は、
愛知県一宮市にある神社である。式内社。旧社格は郷社。天照大神の御霊代を祀る地を求めて旅をしていた倭姫命は、垂仁天皇十四年、美濃国伊久良河宮から尾張の神部であった当地に暫く滞在し、ご神体を宮山に祀った。「中嶋宮」の跡とされ、元伊勢の一つとなっている。
斉衡3年(八五六年)、文徳天皇の勅命により伊勢神宮から、大邑刃自・小邑刃自の二名の酒造師がこの地に派遣され、伊勢神宮にお供えする御神酒を造った。
清酒の酒造が最初に行われた所といわれている。
針名神社は、
愛知県名古屋市天白区にある神社である。式内社。旧社格は村社。明治五年(一八七二年)郷社。
創建は十世紀初頭以前で、元は現在地より約八〇〇メートル北、天白川左岸の元郷に祀られていたが、慶長年間(一六一二年頃)に徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に現在の社地に遷し祀られたとされる。
主祭神の尾治針名根連命は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の祭神でもある天火明命の十四世孫で父の尾綱根命と犬山市の針綱神社にも祀られている。