創祀・沿革
 創祀は、社伝によれば仲哀天皇元年とあり、山麓の本社、東峰の東宮、西峯の西宮を総称し、猿投三社大明神と崇敬されて今日に及ぶ。
 神階は三河国神明帳に正一位猿投大明神と記されている。社格は、延喜の制(九六七年)国弊の小社。
明治の制(一八七二年)県社。一宮制が行われるや三河三宮となる。
 神領は織豊時代より明治維新まで七七六石の朱印を与えられた。境内外に神宮寺が建てられ猿投白鳳寺と呼ばれ、明治元年まで神仏混淆の地であった。

 
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ご祭神

 大碓命(景行天皇第一子、日本武尊と双生児)
 景行天皇(第十二代)
 垂仁天皇(第十一代)
 ご祭神の大碓命は日本武尊(小碓命)の兄で双生児である。東征を欲せられなかったので、美濃国に封ぜられ、三野国造の祖神の美しい娘二人を妃とする。美濃やこの地の開拓に尽くされた。
 猿投山山中で毒蛇に嚙まれ亡くなられた。猿投山西峯にある西宮の背後に御墓所がある。

 
 
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左鎌

 左鎌を奉納して諸願の成就を祈る習慣がある。大碓命は左利きで左に鎌を持ち、当地の開拓をされた。

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棒の手
 毎年10月の第2土・日曜日に行われる。祭礼の際に奉納される棒の手は、棒や刀、槍、鎌などを打ち合わせる勇壮な郷土芸能です。
 歴史は古く、中世末から近世初めにかけて、村々で組織し行われる合宿によって、献馬(馬の塔、オマント、ダシ)の形態が整えられていった。
 一八世紀末から明治初期の最盛期には、三河・尾張・美濃から十余の合宿、百を超える村々が祭礼に参加し、それぞれの豪華な馬道具などで飾り立てた献馬が奉納されました。

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資料提供豊田市教育委員会

銘行安平安時代国指定文化財

黒塗太刀無銘鎌倉時代国指定文化財

樫鳥糸威鎧平安時代国指定文化財

号額鎌倉時代(一三〇四年)県指定文化財

江戸時代(一六〇一年)県指定文化財

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サナゲの語義
猿投山とサナゲの語義 社蔵縁起書に「景行天皇五十三年天皇が伊勢国へ行幸、常に猿を愛し王座に侍せしむ。猿の不祥あり。天皇憎みて伊勢の海に投げ給ふ。其の猿、鷲取山に入る。日本武尊東征の時、壮士三河国より来たりて従う。平定の後、尊に曰く、先に慈恩を蒙れる猿なり。勅恩に報ずる為、扈従し奉ると言い終って鷲取山に入る。猿投山の称、是より起こる」とある。
標高六二九米。山中に天然記念物「菊石」がある。又、団九郎岩屋、御船石、蛙岩、屏風岩、御鞍石等の伝説豊かな巨岩もある。

サナゲの語義似ついて、文徳実録・延喜式神名帳には共に「狭投」と記し、三河国国内神明帳・神号額には「猿投」とある。
従来の諸説を挙げてみると
㈠ 前記縁起書にある猿を海に投げたより起こった。
🉂 山容が鐸ににているから。
㈢ 鐸を木の枝につけて祭祀を行った。
㈣ 大碓命薨去を悲しみ真歎山が猿投山となった、
等の諸説があるが断定はし難い。
猿投神社由緒記より

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祈祷の御案内
当神社では祈祷を承っております。
祈祷時間午前九時~午後四時
最終受付午後三時三〇分

家内安全初宮詣り七五三詣り安産祈願病気平癒合格祈願
厄除祈願災厄除祈願
職場団体安全会社社業繫栄
自動車清祓

外諸祈願承ります。

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初穂料表

一、伊勢神宮大麻八〇〇円

一、猿投神社神札
木札一、〇〇〇円
紙札五〇〇円

一、交通安全御守大一、〇〇〇円

一、御八〇〇円

一、熊大五、〇〇〇円
中二、〇〇〇円

一、守護矢一、〇〇〇円

一、絵一、〇〇〇円

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祭典と催し
元旦祭一月一日
祈年祭二月十七日
初午祭旧二月初の午の日
広沢天神祭二月七日
大祓(茅の輪くぐり)六月三十日
例大祭十月第二土・日曜日
新嘗祭二月十七日
塞ノ神祭旧十一月七日
大祓十二月三十一日
月次祭毎月一日・十五日

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